先週は、「見立て」の文化として田遊びを考えようと述べました。今日は田遊びとはどのようなお祭りかをみていきましょう。
田遊び祭りは、全国各地にあり、中世(12-16世紀)の頃に起源をもつものが多いです。
私が取り上げる東京都板橋の徳丸・北野神社と赤塚・諏訪神社で行われる田遊びもかなり古く、神社の史料によると、995年に田遊びは開始されています。つまり1000年以上も続いているのですね。どこまで正しい年代かはわかりませんが、かなり古いお祭りです。
では、田遊びはどのような祭りでしょうか。それは新しい年の始まりに、米作りのサイクル(種まきから刈取りまで)を演じるというものです。それで今年の作物の豊作や子孫繁栄を願います(予め祝うということで「予祝」と言ったりします)。
徳丸の田遊びで米作りのサイクルを演じるメンバーは、江戸時代には「祭り衆」と言われ、16名いました。祭り衆のリーダーは「大稲本」と言われます。
祭りの準備として、神社の境内に4本の青竹が立てられます。そこに注連縄が張られます。数メートル四方の囲みができて、その中は神聖な空間=聖域となります。
そして、その聖域の中央に太鼓が置かれます。太鼓は田んぼに見立てられていて、これを中心にして米作りのサイクルが演じられるのです。たとえば…
大稲本…「よう よなんぞうどの(おう、米人たちよ)」
祭り衆…「よう(おう)」
大稲本…「一鍬を打ち候(鍬(くわ)を土に打ちこもう」」
祭り衆…「打ち候 ザンブリ やーらめでたやな 一鍬をざぶっと打って候えば こわいごりょうの鍬をほん鍬とす よいいいさきと申して目出度候(打ち込もう。ザッ。いやーめでたいな。鍬を打って、お米の香りがする。この先いいことがあって、おめでたいな」…
こんなふうに祭り衆は鍬(に見立てた餅)を田んぼ(に見立てた太鼓)に打ち、謡います。しかも鍬を土に打ち込んだら、もうお米の匂いがするというから、何ともおめでたいことです。
その後にも様々なサイクルを演じ謡います。田んぼに水を入れてならす。田植えをして稲を育てる。最後に稲を刈り取って、「今年も豊作だー」と大祝いをする。これが祭りの流れです。
これら祭り衆の演技の大半は、聖域の中で太鼓を取り囲んで行われます。そして私たち観客は、聖域の外から眺めます。祭り衆の演技を見て、一緒になって笑い、豊作の未来を祝います。
つまり、田遊びというのは豊作の未来像をみんなでシェアするという祭りなのですね。未来の願望を見立てたスクリーンみたいなものが、田遊びなのです。
そんな祭りの中には様々な見立ての仕掛けがたくさんあります。それについては、また来週。
それでは!
(文責:若曽根了太)
<参考>
・板橋区立郷土資料館編. 1997.『田遊び : 農耕文化と芸能の世界』. 東京 : 板橋区立郷土資料館.
・Ryota Wakasone. 2560. บทบาททางสังคมของโทะชอโยริในฐานะผู้นำพิธีกรรมในช่วงกลางสมัยเอโดะ: วิเคราะห์เกี่ยวกับงานเทศกาลทะอะโซะบิ. วารสารวิชาการของสมาคมญี่ปุ่นศึกษาแห่งประเทศไทย (JSN Journal). 7(2): 27-38. (タイ語論文).
・写真は全て2012年に若曽根が撮影。